ブリュッヘン追悼文(毎日新聞) |
9月2日の毎日新聞の夕刊に、私の書いたブリュッヘンの追悼文が載りましたので、お知らせします。これは大変短いものでしたが、これをふくらませて少し長くしたものが、9月18日に発売される音楽之友社の月刊雑誌「レコード芸術」に載ります。そちらの方も、時期が来たら、このブログでもご紹介したいと思います。

これは、ブリュッヘンと18世紀オーケストラの最後の日本公演となった2013年4月6日のステージ写真です。(提供:すみだトリフォニー ©三浦興一)

以下は、新聞に掲載されたものと同じ文章です。
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巨星が墜ちた。フランス・ブリュッヘン。オランダのアムステルダムを本拠に、自ら創設した古楽器オーケストラ「18世紀オーケストラ」との演奏旅行のほか、近年は世界でも指折りのオーケストラに再三招かれていた。新日本フィルへの客演も、2005年以来五回に及ぶ。「古楽」という、クラシック音楽の新しい領域に於ける新しい考え方を世界中の音楽家や音楽ファンに伝えた点で、影響力と功績の大きさは測り知れない。
しかし、世界中の古楽ファンに、より鮮烈な思い出となっているのは、リコーダーによる「悪魔的」とも言える名人芸である。半分おもちゃのような教育用楽器としか考えられていなかったリコーダーを教室の外へ持ち出し、いかなる楽器も敵わないような表現力の大きさで人々を「あっ」と言わせた。その超絶的な技巧、千変万化する音色、流れ星のような音のスピード感や果てしない響きの広がり、、、。
1973年春、初来日の会場は熱狂の坩堝と化した。それまでのクラシックの演奏家とは全く異なり、彼はブルーのジーンズ風の上下を着て、長身を折りたたむように斜めに椅子に腰掛け、長い脚を組んでリコーダーをはすに構え、ぐるぐる回しながら吹いた。彼のポスターは若いファンの寝室の壁を飾り、「クラシック界のジョン・レノン」という綽名まで献上された。70年代には「サワークリーム」というグループも結成し、バロックから現代音楽、ジャズやロックまでジャンルの垣根を取り払う活動を展開した。ライヴハウスでは、エレキギターの他、電気掃除機のパイプまで音を出す道具として登場、演奏者が駆け廻るエキセントリックなステージが物議を醸した。そのブリュッヘンが、1980年のある日、突然笛をやめて古楽器オーケストラを設立し、自分はその指揮者として専念する、と宣言した。私はちょうどその頃、彼のリコーダー奏者としての最後の来日公演で伴奏者を務めた関係で、新しいオーケストラ活動に賭ける情熱的な弁を聞く機会を得た。
昨年4月の18世紀オーケストラ最後の来日公演の後、客席に数多く残った初老のファンは、自分たちの人生を豊かに彩ってくれた巨匠に、限りない感謝をこめた挨拶を贈った。私の長年の音楽生活の中でも、稀に見る忘れ難い光景であった。

上の写真は、多分、セオンでモーツァルトのフルート協奏曲を指揮した時の写真でしょう。下が、その時のレコード。1970年代の初め頃ですから、40年ぐらい前です。

こちらはレオンハルトとの写真。こちらも古いですね。

こちらは、私が伴奏した1980年11月のリハーサル時の写真。

楽屋で、ファンのサインのリクエストに応えるブリュッヘン。


カッコ良かったですねェ。
では、続きはまた今度。